著者近影 34年も生きていると,思い出すことがたくさんあるわ。 小学生時代は,サッカーとファミコンばかりヤってた。中学生になると,比較的ゲイムをプレイする時間は減ったけど,サッカーはヤってた。高校生になると,サッカーとスーパーファミコンばかりヤってた。そして大学生になると,一人暮らしを始めたもんだからPlayStation,セガサターン,NINTENDO64を揃えてゲイムと学生プロレスばかりヤってた。柧─死搐郡肖辘雾暏希抓恧违欹攻椹`になったはいいけど金がないもんだから,ゲイムばっかヤってた。そして今は,リングで対戦相手をまさぐることと,ゲイムの連載を書くことを日々の糧に生きている,rmt。 私の人生は,まさに“NOゲイム,NO LIFE”。そんなこんなで,物心が付いたときからゲイムをやり続けてきた私だけど,今,ちょっとしたショックを受けているの。というのも,かつて“ただの面白いRPG”だと思ってプレイしていたゲイムに,もの凄いメッセージが込められていたことに,今さらながら気付かされてしまったから。 そのゲイムは,「」(以下,俺屍)。これ,凄いわ。今風の表現で言うと,ヤバい。ヤバい! ヤバい! まぢでヤバい(ヤバい)! ラーラララ……えー,戦国IXA RMT,このゲイムを簡単に説明するならば,短命の呪いをかけられた主人公一族が,子供を産んで,育てて,主人公が死んで,主人公が育った子供に移って,その子供がまた子供を産んで,育てて……を繰り返すというRPG。ゲイムとしてのミソは,一族がちょっとづつ強くなっていくってことにあるわけ。 12年前,私がPlayStationでこのゲイムをプレイした時は,「ゲイムシステムとタイトルがうまくかみ合ったいいゲイムだなー」なんて軽く考えていたんだけど,この一週間でPSP版をプレイしてみて,これは人間の営みそのものを描いた作品なんだということに,今さらながら気付かされたわ。 人は,人の死を乗り越えて生きていく。言葉にすると陳腐でありふれたものよね。でも,22歳の頃に初めてプレイした私に比べて,34歳の今の私のほうが,いくつかの人の死に触れてきている。生きるというのはそういうこと。知らず知らずのうちに,私は誰かの屍を越えて今ここにいる。 ゲイム内で死を迎える際,主人公はこう言うわ。「俺の屍を越えて……ゆけ」と。そして,死んだ主人公は当然ゲイム内には登場せず,また同じようにゲイムが進んでゆく。現実の世界で私が,誰かの死を乗り越えて,こうして普通に生きているように
関連トピック記事:
kiyotash23の日記
14 年前
0 件のコメント:
コメントを投稿